人によって、価値観や判断基準は異なります。
何が正しいものかを考えれば考えるほど、判らなくなっていきます。
価値観は、その方の今までの歩みの中で形成され、なかなかすぐに変化させられるものではありません。
ただ、いろんなことを知らずして現在の価値観に至っているケースもあり、この場合は、知見を大きく広げることにより変化させられることができます。
今書いていることも、筆者の価値観によるものです。何が良いかは、読んでいる方の価値観によるもので、強要させられるものではありません。
「個人の評価は、 価値観や判断基準の異なる他人が判断するもの」だと思います。
見る方向性が異なると、評価も変わる可能性があります。
個人の評価がどうでもいいというわけではなく、何を基準に評価しているのかを理解することにより、自分を昇華させることができる可能性があります。
たくさんの異なる価値観やたくさんの判断基準があり、多ければ多いほど標準が見出しやすいです。ここで難しいのは、平均で見いだされた標準の価値観が正しいとは限らないという事です。すなわち、偏った情報を入力された集団は、偏った価値観や判断基準が標準として形成されてしまう危険があります。
学習による知識や経験の積み重ね、すなわち教育により価値観や判断基準が形成されていきます。ここで偏った教育を受けると、偏った価値観や判断基準が形成されてしまいます。もちろん、いろいろな価値観や判断基準があっていいわけですが、自分と異なる考えにどう対応していくかが問われてきます。
ここで大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した日本の童謡詩人「金子みすゞ」の詩をいくつか紹介します。
「わたしが両手をひろげても、 お空はちっとも飛べないが、 飛べる小鳥はわたしのように、 地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、 きれいな音は出ないけど、 あの鳴る鈴はわたしのように、 たくさんなうたは知らないよ。
鈴と、小鳥と、それからわたし、 みんなちがって、みんないい。」
「朝やけ小やけだ、大漁だ、大ばいわしの、大漁だ。
浜はまつりの、ようだけど、海のなかでは、何万の、いわしのとむらい、するだろう。」
「かあさん知らぬ 草の子を、なん千万の 草の子を、土はひとりで 育てます。
草があおあお しげったら、土はかくれて しまうのに。」
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